魚肉たんぱく同盟コラムVol.12

「青学の4年間で6回の疲労骨折...」 三代目山の神・プロランナー神野大地を変えた食事に迫る。

2021.11.02

“三代目山の神”。誰しもが1度は聞いたことのある、正月恒例の箱根駅伝で生まれたそのランナーの名は神野大地選手。現在プロランナーとして活動している彼は自分のランニングスタイルを“きつい時にもうひと踏ん張りできる泥臭く粘り強い走り” と話す。

実業団から当時数少ないプロランナーという道へ進んだ彼が、その挑戦の過程で培ってきたアプローチの1つに、食事による身体づくりがある。学生・実業団時代のトライアンドエラーを通して、高まった食への意識とその原点について存分に語ってくれた。

神野大地選手プロフィール
1993年9月13日生まれ。中学から本格的に陸上競技を始め、中京大中京高校から青山学院大学に進学。大学3年時に箱根駅伝5区にて区間新記録を樹立し“3代目山の神”として大学史上初の総合優勝に貢献した。大学卒業後は実業団のコニカミノルタへ進んだのち、2018年5月にプロ転向。2019年アジア選手権マラソン優勝等の成績を残す。現在マラソン練習が本格的に始まり、12月19日に山口で行われる防府読売マラソンに向けて順調にトレーニングを進めている。

どのようなきっかけで陸上競技を始めたのでしょうか?

小学校から野球をやっていて、中学校では土日に活動をする軟式野球のクラブチームに入って活動していました。そのため平日の部活動では野球部に入ることができませんでした。もともと走ることは小学生の頃から好きで、走るのが楽しいなと思っていたので、月曜日から金曜日までは野球のための体力作りができたらいいなという気持ちで陸上競技部に入部しました。野球のクラブチームは体が大きい子でなかなか試合に出場できず、このまま野球を頑張っていっても上のレベルに行けそうにないなと限界を感じ、中学2年生の夏に野球を辞めました。

そこから本格的に陸上競技にのめり込んでいったのですが、当時は学校内で一番ではなかったですし、中学校の陸上大会でも県大会にすら進むことができないレベルでした。ですが、練習を頑張るとその後の試合で結果が出たり、前にできなかった練習ができるようになったりと、野球よりも成長を感じやすく頑張って努力すれば結果に現れる部分に、陸上競技の魅力を感じた中学生時代でした。

高校進学を考えていた時期に中京大中京高校の先輩に「一度練習に来ないか」と声をかけてもらって練習に参加したところ、監督がまだ実績のない僕に対して、「君は絶対将来伸びるからうちでやらないか?」と声をかけていただき、中京大中京高校に入学しました。監督の厳しい練習を乗り越えて、高校2年生の時に初めて県大会で4位に入賞することができ、結果を残すことができたので、そこで初めて関東の大学に進学して箱根駅伝を目指したいと考えるようになりました。

4年間のうちに1回でも箱根駅伝に出場できればいいなと思って青山学院大学に入学したのですが、結果的に2回も優勝することができ、”陸上で努力をすると結果に結びつく” ということを信じて、自分が中学校頃からやってきたことが箱根駅伝優勝という形になったことは素直に嬉しかったです。

大学を卒業し、社会人になってからはコニカミノルタの陸上競技部に所属しました。コニカミノルタは元日に行われる実業団の日本一を決めるニューイヤー駅伝でも2000年から僕が入るまでに8回優勝をしていて、平成の駅伝王者と呼ばれる本当に強いチームです。僕は中学生の頃から、駒澤大学出身でコニカミノルタに入社した宇賀地強さんに憧れていて、宇賀地さんは身長が僕と同じように小さく、がむしゃらに粘り強く身体全体を使って走るスタイルだったこともあり、大学卒業後も競技を続けるなら、宇賀地さんのいるコニカミノルタでやりたいという気持ちを持っていました。運よく最初にコニカミノルタの監督さんが挨拶に来てくださり、自分が行きたい企業だったので、迷うことなく大学2年生の冬にはコニカミノルタに入ることが決まっていました。コニカミノルタに入社してからは練習や寮の環境が素晴らしく、これが日本一になるチームの練習であり生活なんだと肌で感じました。

会社に所属してる以上、陸上をしている時以外は仕事をしている時間が多いのですが、社会人2年目となり、東京オリンピックを目標に悔いのない挑戦と努力をしたいこと、“マラソン王国” のケニアへ行き強くなりたいという思いが増していきました。しかし、どうしても企業に所属していると制限がかかってしまうため、陸上に一点集中できない部分に課題を感じていたことが事実です。そして社会人3年目の春、東京オリンピックに挑戦したいという思いを叶えるため、会社をやめてプロランナーとして活動を始めました。

現在プロランナーとして、どのような食生活を送っていますか?

陸上競技の場合は体重の増量や極端な減量をする必要はなく、いい練習と食事をして強い身体ができるという考えを僕は大切にしているので、栄養バランスが整った食事を意識しています。

1日に2回練習をしますが平均30kmの距離を走るので、次の日に疲労を残さずリカバリーをするためにはやはり食事が大切だと思います。一般の方より副菜やフルーツを取り入れるなどしていますが、基本的には定食屋さんに出てくるようなバランスの良い食事を心がけています。

食事の際には特にどんなことを意識していますか?

僕が常に意識しているのは食べるお米の量だけですね。1日の中で夕食だと380〜400gぐらい食べるようにしていて、1合の炊き上がりが約320gなので、1合とちょっとの量を食べるようにしています。体重を落とさないようにするために米で糖質を摂取しつつ、同時にリカバリーを意識しているイメージです。

学生の頃と今とでは食事の意識は変わりましたか? 

食事の意識は年々変わってきています。
高校や大学時代は寮で出された食事を特に意識せずとっていただけでした。大学時代に僕は疲労骨折を4年間で6回ほどしてしまいましたが、実業団に入ってから現在までは一度も疲労骨折をしていないので、これは食生活を改善した部分が影響していると僕は思っています。今振り返ると高校・大学の時にもっと栄養学を勉強するべきだったと思っています。

実業団に入ってからは食事の管理が徹底されて、食事への意識が高まり、そこからプロになる時も必然的に栄養士さんにサポートをお願いしました。東京オリンピック選考までの2年間は栄養士さんに家に3食作りに来ていただいていましたが、今は月に1度の栄養講座のミーティングをしたり、体重管理や食卓の写真を送りアドバイスをいただく形で食事をコントロールしています。

実業団にもし入っていなければ、「食事なんてお腹いっぱいになってればいいや」という感覚で陸上を続けていたかもしれません。実業団に入り「これがアスリートの食事なんだ」と学ばせてもらったおかげで、今も食事への意識は高くキープできているのかなと思います。

指導者や環境も整っていた大学・実業団時代から、プロになって自分で環境を作らなければいけない状況だったと思いますが、違いや難しさ、逆に面白さはありましたか?

自分が信頼できるメンバーと戦えるというのはアスリートにとって一番重要なことだと思います。企業に所属していると監督が変わる可能性や、人によっては自分に合わない指導や練習法の中で戦わないといけない場合もありますが、今の僕は自分が必要と思える部分にコーチを付けてサポートをしてもらっている形です。自分が目標を達成するために一番いい選択ができるようになっているので、理想の環境でやれている部分はとてもありがたく思っています。

タンパク質の摂取について意識していることはありますか?

一般的なアスリートは体重×1.5〜1.8gタンパク質を摂取すると良いと言われていますが、僕は血液検査で腎臓の状態がたんぱく質の過剰摂取で悪くなることがわかっているので、たんぱく質の量を体重×1.2gぐらいの量に制限することを意識して摂取しています。また、トレーニングやハードな練習の日の夕飯はタンパク質の量を増やす場合もあります。

小田原っこやフィッシュプロテインパー 挑・蒲鉾を食べていただいた感想はいかがでしょうか?

小田原っこはそのまま切って食べたり、醤油をつけて食べたりしました。フィッシュプロテインバーは良い意味でプロテイン感がなく、食べやすい味でとても美味しかったです。市販のプロテインはあまり味がしなかったりケミカルな要素が強く、好んで摂取しない場合が多かったのですが、自然由来の食材にこだわりながら味も美味しくアレンジされていて食べやすかったです。

陸上選手の生活で試合前や練習後において、このフィッシュプロテインバーがどんな時にあったら良さそうですか?

例えば、午後の練習での場面で1時間ほど車を走らせて練習をした後、また1時間ぐらいかけて帰ってからお風呂などのケアをすると、練習が終わってから2時間後に食事を始めることになってしまいます。練習後はなるべく早いタイミングで栄養補給をしてリカバリーをすることが重要で、お腹が空きすぎてエネルギーがない状態が長くなればなるほど練習のダメージも残りますし、練習の効果も下がっていきます。練習が終わった後に手軽に食べらる、かつ美味しいこのフィッシュプロテインバーはそのような運動後のシーンで活躍してくれるんじゃないかと思いました。

最後に今後の目標についてお聞かせください!

東京オリンピック出場を目指してきた中で目標をクリアすることができず、次の目標をどうするか考えていた時期はありました。しかし、箱根駅伝を優勝して良い景色を見させてもらったので、例えマラソンで自己ベストが出たとしても、100%の喜びを感じることはできないと感じています。箱根駅伝の結果を超える喜びは、やはりオリンピックや世界陸上で活躍するということでしか成し得ないと思っているので、ぶれることなく走り続けていきたいと思います。

書き手:大金 拳一郎(スポーツクリエイター)

フリーランスのフォトグラファーとしてスポーツを中心に撮影。競技を問わず様々なシーンを追いかけている。その傍ら執筆活動も行なっており、スポーツの魅力と美しさを伝えるために活動をしている。

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