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創業百五十年、これまで私どもはいのちや自然への感謝を心に、真摯に食と向き合ってまいりました。今回は、蒲鉾づくりの理念が生きるエネルギー事業への取り組みをご紹介します。
丹沢と箱根の山が相模湾に押し迫る小田原で、慶応元年(1865年)から網元魚商を営みながら蒲鉾を作り続けてきました。
塩は天日塩を原料に国産にがりを配合した蒲鉾専用のまろやかなものを、調味料にも昆布だしや自然発酵の調味料をつかうことで、素材のいのちを活かしております。着色料にも化学的に合成されたものはつかわず、保存料ももちろん加えておりません。
森に育った樹木で作る板の上で一本一本丹精込めて蒸し上げ、口にする人々に喜ばれる味覚を追い求めてきました。その味と品質を支えてきたものに、独自の企業理念があります。
一本の蒲鉾を作るためには約7匹の魚が必要です。私たち鈴廣はこう考えます。それだけで生きているいのちは存在せず、全てのいのちは生かし生かされている。私たちの仕事は、食べもののいのちをお客様のいのちに移し替えるお手伝いをしているのだと。お魚のいのちを歪めないで元気なまま、お客様のいのちにつなげていくこと。その仕事を通じて、お客様と世の中のために役に立つこと、それが鈴廣の役割だと任じています。
人間は60兆個の細胞でできていて、3~6カ月で全身の細胞が入れ替わるといわれています。その営みを支えるために食は不可欠なもの。
そう考えると、食材をもたらす自然と自分を隔てる境目はなくなり、『自分だけよければいい』という考えも存在しえません。土地にたとえて言えば、自分の都合で土壌を汚さず、未来の人たちによりよくして受け渡さなければ、安全で美味しいものを作り続けることができないということです。
こうした思いから、鈴廣は製造工程から出る魚のアラを魚肥にして関係農家へ提供したり、90年代から電気自動車を営業車に購入したりする取り組みを行ってきました。
一見、蒲鉾と関係が薄いように思える環境やエネルギー対策ですが、こうして独自の姿勢を育んできたのです。
近年、改めて環境とエネルギー問題に取り組む重要性を強く認識させられたのが、2011年に起きた東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故でした。
電力不足が懸念され、計画停電が行われるようになり、同年の夏には大型契約をしている企業として15パーセントの節電が義務づけられました。しかし、実際にはそれを上回る20パーセントの節電を目標にしました。なぜなら、当時、原子力発電が電力供給全体に占める割合は二割程度と言われていました。ですから、20パーセント節電することで、原子力発電に頼らず、お客様にも迷惑をかけず、社員の雇用を守る、いわば経済を回すことができることを証明したいと考えたからでした。
結果、目標は達成しました。設備面での変更は時間的に難しかったので、運用面で工夫しました。
たとえば、かまぼこ工場では一日10ラインを週五日動かし ていたものを、7ラインに減らし、代わりに週七日稼働させたのです。その他、店舗に10台ある空調の電源を、それまで一斉に切り替えていたところ、一台ず つタイミングをずらして点けることで、お客様に快適な体感温度を維持しながら節電に成功しました。
翌年には、独立行政法人の中小企業基盤整備機構から省エネ関連のコンサルティングを受け、ボイラーから延びるパイプの断熱処理は十分かなどの設備面を詳細にチェックしました。
そこで再認識したのが、『エネルギー=電気ではない』 ということ。
たとえば、お湯を沸かすとき、太陽光パネルで発電した電気を使うより、太陽の熱で直接沸かした方が、効率がいいのです。実際、神奈川県で使用されているエネルギーの中で電気は全体の三割に過ぎず、他の多くは熱を利用しています。電気にばかり頭がいっていたエネルギー利用への見方が変わりはじめました。
こうした設備面のチェックがきっかけとなり、2013年から社内のエネルギー活用が大転換を始めます。