1世紀以上続く老舗に新たな名物としてあんぱんを生み出した、3代目代表柳田一郎さん。経営者と職人の両方の顔をあわせ持つ彼の人柄と、あんぱんが生まれた背景とは。
いまに至るまでの道のり
「最初は100個作って100個売れ残る
それでも諦めずに貫き通しました」
「うちは小田原に代々続くパン屋ですが、もともと『継ぐ』ということは意識していませんでした。継ぐことを決めたきっかけは、大学生の頃に2代目の父の経営が苦しくなってきたのを見て、おこがましくも自分が新しい風を吹き込みたいと思ったからなんです。
大学を出てからは店で修行をしながら夜間の製パン学校に通いました。学校に通いながらも、帰ってきてから練習のために現場に顔を出していましたが、現場の職人たちからの風当たりは強かったですね(笑)現場の職人たちに認めてもらうのはそう簡単ではなかったのですが、彼らの休憩時間を見計らって自分でパンを焼いて練習を続けました。
そんな中でも、店の経営がどんどん苦しくなるのを見て、何か新しい目玉となる商品をつくらなければと考えていました。そして、その時にヒントとして思い浮かんだのが、幼い頃から好きだった箱根名物の餡(あん)がたっぷり詰まったまんじゅうだったんです。それが今のあんぱんをつくりはじめたきっかけです。
その後、あんぱんは完成して販売をしはじめたのですが、発売当初は毎日100個つくっても100個余ってしまうような状態でした。ただ、約十数年前にひょんなことがきっかけで神奈川新聞に取材してもらったことがありまして。それがきっかで段々とお客様にきていただけるようになった感じですかね。
はじめてあんぱんが売れたときは本当に、本当に嬉しかったですね。つらいこともたくさんありましたが、それまでの努力が報われたような気がしました」
客観的に見て、自身はどんなヒトなのか?
「一度決めたことはまっすぐにやり抜く。
『やらない』という選択肢は常にないですね」
「自分では負けず嫌いで探求心が強いと思っています。
中でも、餡子(あんこ)に関してはとりわけ強い思いがありまして。うちは10種類以上のあんぱんがありますが、餡子は絶対に素材だけの味で作りたいという強い思いがあるんです。さつまいもなら、さつまいもと上白糖だけ。白餡などを加えるやり方もあるけれど、私はどんなに手間や時間がかかっても、その素材100%で確かなものをお客様に届けたい。
目指しているのは、あんぱんをつくるきっかけになった饅頭のような、薄皮に透けるほど餡が詰まったあんぱんですね。厚さ3mmの薄皮生地に、素材を活かした餡をたっぷりと詰めて、食べた人を驚かせられたらなと。
大前提として、私があんぱんをつくるきっかけとなったのは、柳屋ベーカリーの目玉商品をつくりたいというだけでなく『人と違うものをつくりたい』という気持ちもあったからなのですが、いずれにせよ、一度決めたことはやりきるという性格がいまにつながっていると思っています」
職人として最も大事にしていること
「品質を落としてまで生産量をあげることに意味はない
利益よりもお客様の満足を大切にしていたと気が付いたんです」
「経営が厳しかった時代を乗り越えたいま、この店を永く続けていくために大切だと思っていることは、利益ではなくてお客様の満足度を守り続けることですね。
というのも、うちは幸い新聞やテレビなどのメディアに取り上げられることが多かったので、突然多くのお客様に来てもらえる瞬間というものが、過去にたくさんあったんです。
そういうときは当然、つくればつくるだけ売れるわけですが、ある一定の数を超えると品質に影響が出てしまうというラインが、そのときに見えたんですよね。『これ以上売ってはいけない』と直感で気づいたんです。
品質を落としてまで生産量をあげることに意味はない。だからうちはお客様のおかげで10時に開店してお昼ごろにはほぼあんぱんは売り切れてしまうのですが、いまよりもつくる数を増やすことは絶対にしないと思います。いまが自分の満足がいくものを妥協せずにできる限界だから。
また、うちの商品の最大の魅力は先ほどお伝えしたように餡なのですが、実は年々餡の量を増やしているんです(笑) 昔は7対3だった餡と生地の割合が、いまでは8対2になっている。そっちの方がきっとお客様が喜んでくれるはずだと思っているので」
これからの展望
「小田原ならではの素材を使用した餡をつくっていきたいですね」
「私自身40年以上パンづくりをしていますが、やればやるほど奥が深く、まだ『職人』と名乗るにはおこがましいとすら思っているんです。一度決めたことはやり遂げたいと続けてきたことだけど、まだやっていないこと、できることがあるんじゃないかと思っている節もありまして。
今後、一番やりたいと思っていることは、梅や桜など、自然豊かな小田原だからこそつくることができる、地産地消の『本物』の味を伝えることです。食材のブランド名で売るのではなく、食材そのものが持つ良さをわかってもらえるようなあんぱんをつくっていきたいと考えています。
いつまでも、お客様に満足してもらえて、なによりも自分が納得いくものをつくり続けたい。これからもさまざまな餡のあんぱんに挑戦して、小田原にこういうパン屋さんがあるんだということをとにかく知ってもらいたいと思っています」
ヒトに伝えたい小田原の魅力
「この街はまだまだ面白いものがたくさんある。
その魅力を多くの人に伝えていきたいですね」
「小田原の街にはまだまだメディアに紹介されないような面白いお店やコンテンツがいっぱいあるんです。そして、街を歩いていると意図せずそれらにたどり着く。これこそがこの街の魅力だと思っているんです。
柳屋ベーカリーは、あくまでもその中のひとつのピースでしかない。だから、うちが良い商品をつくり続け、さまざまなお客様に小田原の街中に来ていただけるような状況をつくる。そうすれば、うち以外の面白いところに出会っていただける確率も増えますよね。皆さまにそれらを知ってもらえる機会を提供できる可能性に溢れていると思うんです。
だからやめるわけにはいかない。この街のいろんな人やお店と協力して小田原の魅力をいろんな人に知ってもらえるような仕掛けをこれからも考えていきたいですね」
まとめ
この街の魅力を伝えたいと長年この地であんぱんをつくり続け、それらが小田原の名物としてメディアに取り上げられるようになっても、変わらず作り手としての理想を追いかけ続ける柳田さん。
まだ見ぬ味を求める探究心から生まれるあんぱんが、これから先どのような小田原の価値を表現するコンテンツとなっていくのか楽しみだ。