木材を寄せて幾何学模様をつくりだす、寄木細工。この地で200年近く続く伝統工芸をまるで現代に生まれたデザインのように魅せる露木木工所の4代目、露木清高さんとはどのような人物なのだろうか?
いまに至るまでの道のりとは?
「当初は寄木細工職人になることに迷いもありましたが、恩師のひと言で『継ごう』と決心ができたんです」
「うちは寄木細工職人の家系でして。生まれた時から寄木細工は当たり前に生活の中にある存在でしたね。幼心ながらにとてもキレイなモノだなと思っていました。
ただ、自分自身がプレッシャーに強いタイプではなかったこともあり、祖父と父がやっていることを継ぐ、ということはあまり考えないようにしていたんです。その考え方が変わったのは高校卒業後に『指物』という木工技術を学びに京都に行ってからでした。
京都はとても楽しかったですね。結果的に4年間いたのですが、最後の年に恩師でもある指物職人の先生から言われたんです。『もし最終的に寄木細工をやる可能性があるなら地元に帰りなさい』と。
要は、小田原の外で寄木ではない木工技術から新しいことを学ぶことも大事だけど、寄木を追求して自ら新しいスタイルをつくっていくことも重要だ、ということを先生は伝えたかったのかなと。その言葉に妙に納得してしまい、地元に帰り露木木工所を正式に継ぐことを決心したんです。
チャンスは往々にしてなかなか自分で気づけないんですよね。だからこそ絶好の機会を教えてくれたり、それが来た時に自分を応援してもらえたりするような状況を日々努力しながらつくることが大切なんだって、あの時に学びました。小田原で寄木細工職人になってから20年近くが経ち、自分自身も周囲の環境もだいぶ変わりましたが、そのスタンスは当時と変わらずですね」
客観的に見て、自身はどんなヒト?
「不器用だなと。でも、諦めずに根気強く続けられる性格だから今がある」
「僕は器用な方ではないんです。京都で指物の勉強していた時も、2年目の最後の方にやっと木の扱い方や木工の基礎となる部分のさわりが見えてきたぐらいでしたから。でも、諦めることはなかった。
ほかの人と比較すると新しい技術を習得することはもしかしたら遅いのかもしれないですが、少しずつでも自分にできることが増えていく過程を楽しめるタイプなんだと思います。だから努力ができたし、4年間モチベーションを保ちつづけられたのかと。そんな僕に合わせて手取り足取り、何度も僕にいろんなことを教えてくれた先生たちには本当に感謝しています。
『職人』ってもとから器用な人がなるイメージがもしかしたら世の中には一定数あるのかもしれないですが、個人的には器用か不器用かではなく、どんな理由でもよいから努力しつづけられることが大事だと思っているんです。それはどれだけ経験を積んでも変わらない。
いまでは僕が学んできた技術を人に教える機会も多少増えてきましたが、具体的な技術もさることながらそのマインドの部分も伝えられるようにしています」
寄木職人として最も大事にしていること
「ひとつのことに深く集中しつつも常に全体を俯瞰してみることですかね」
「父が昔からよく『いろんなモノを見なさい』と言っていたんです。若いころはその本質的な意味がよくわかってなかったのですが、いまならよくわかる。そして、その教えが気づいたら自分自身にも染みついているんです。過去を振り返れば、僕にとっては当たり前すぎて特に意識していなかった寄木細工の魅力は、京都で指物を勉強したからこそ知り得たわけですからね。
僕がつくる寄木細工に採用する文様は、先代たちが過去につくってきたものがほとんどなんです。でも、稀にそれらは僕が現代に合わせて考案したオリジナル文様だと思ってくれる人もいる。要は、代々受け継がれてきた伝統柄を深ぼっていくと、21世紀のデザイントレンドに合う文様もいっぱいある。大事なのは、それに気づけるかどうか。どれだけ多くの作品や作風をインプットできたかということだと思うんです。
伝統工芸には教科書がないので、諸先輩方がつくってきた作品や、つくっている姿を見て、その技術をとにかく深く追求していくことは必須だと思います。でも、タテに掘り進めるがあまりにヨコ方向の視点がなくなると自分のやっていることを俯瞰してみられなくなる。時代に合わせて寄木細工の魅力を発信していくためには、自分たちがやっていることの価値を常に客観的に見ていくことが大切なんです」
これからの展望
「業界や歴史に閉じず常にその時代に合った『寄木細工』の新たな可能性を探っていたいですね」
「父や先生がそうであったように、新しいことに果敢にチャレンジしつづける職人でありたいですね。
寄木細工の最大の魅力は自然由来の素材の美しさを人工的にデザインするところだと思うんです。そして、その美しさをどうやって各時代の人々の生活に投影できるかが、職人の腕の見せどころだと僕は考えています。
たとえば、コップは何かを飲むための道具なわけですが、用途だけを考えたら紙コップでもいいわけじゃないですか。でも、世の中には明確な言語化はされていないけども、根底に社会通念としての美意識が存在するから、数多くのデザインされたコップがある。そして、その選択肢のひとつとして、こんなにも綺麗な寄木細工を選んでもらえたらなと日々思っているんです。
以前、星野リゾートさんとコレボレーションして『KAI Hakone』の寄木細工づくしの部屋をつくったのですが、そういった異業種の方々との関わりも積極的にしながら寄木細工の新たな可能性を今後も探っていきたいと思います」
ヒトに伝えたい小田原の魅力
「素材の調達から仕上げまで、すべてがこの地で完結してきた歴史ですね」
「日本各地に今もさまざまな伝統工芸が残っていて、それぞれのよいところがあるわけなのですが、小田原の寄木細工の観点から魅力をあげるとするならば、技術だけでなく使用する素材もこの地で手に入るということが一番かと思います。
豊かな自然があるからこそ地産地消の素材の活かし方ができるし、城下町として文化を守ってきた歴史があるからこそ、代々受け継がれてきた技術がある。素材の調達から作品を仕上げるまで、全てこの地で完成できる。それは全国的に見ても非常に価値のあることだと思っています。
小田原城主の北条氏が木工産業を奨励した際に、手に入る木材の種類が多いという理由で、このエリアに職人たちが多く移り住んできたそうです。そういう背景も県内外の方に改めて知ってもらえたら嬉しいですね」
まとめ
旧きを訪ねることで新しきを発見し、結果として後世に伝えるべき寄木細工の付加価値の幅を広げ続けている露木さん。
時代に合わせて「伝統」に変革を起こすためには、ゼロからデザインを構築することが必要なこともある。一方で、現代に語り継がれる「伝統」がなぜ「伝統」として成立してきたのかを深く追求し、再編集を施すことにより、変革の種を見つけることもできるはず。
実際にそれを体現する彼の姿を見ていると、日本各地に点在するすべての伝統工芸の今後の可能性に白地を感じざるを得ない。