砂張とは銅と錫を配合した青銅の一種で、通常の青銅よりも錫の割合が多いのが特徴だ。小田原の地はかつて鋳物業が盛んで、砂張を使用した「鳴物(なりもの)」と呼ばれる風鈴や仏具のおりんは澄んだ音の余韻がとても長く続くことで有名だ。
さて、今回紹介するのは1686年からこの地で鋳物業を営む「柏木美術鋳物研究所」の3代目、柏木照之さんだ。
今ではこの地で唯一となった、砂張の生産者は、一体どのような人物なのだろうか。
いまに至るまでの道のりとは?
「システムエンジニアを目指していたのですが
気づいたら家業の手伝いが本業になってしまいました」
「きっかけは19歳の頃に人手が足りないということで、ここでアルバイトをはじめたことでした。もともとシステムエンジニアになろうと思っていたこともあり、当初はいまのように楽しさは見いだせてなかったですね。ただ、続けるうちに少しずつ興味が湧いてきまして。
だから、先代である叔父が腰を痛めてこの工房をたたむかも、という話になった際にすかさず『僕に継がせてくれ』と手を挙げたわけです。いま思えば思い切った決断でしたが、直感的にやめるという選択肢が当時浮かばなくて。全国では3地域、小田原では唯一の砂張をつくれるのがウチなので、若いなりに使命感のようなものも感じていたのかもしれないですね。
ただ、継いではみたものの、最初の頃は本当に大変でした。熱して溶かした金属を鋳型に注ぎ込む作業は、何度流し込んでもうまくいかなくて。感覚をつかむのに1年かかり、10年ぐらいで全容がみえはじめて、17年目となったいまも日々勉強です」
客観的に見て、自身はどんなヒト?
「自らが探求してみつけた価値を
誰かと共有していたい性格です」
「学生時代から好きな科目はいわゆる『実学』と呼ばれる数学や物理でしたね。建設的にロジックを積み上げてひとつのこたえにたどり着くという過程が好きなんだと思います。きっとシステムエンジニアを当初目指していたのもそういう背景があったからなのかと。
そういう意味ではこの仕事はきっと僕に向いているんですよね。砂張は製作過程でひとつでもロジックを踏み外すとちゃんと音が鳴らないですから。たとえ1回で成功しなくても、地道に課題を解決していく作業が楽しめる性格で本当に良かったなと思っています。
あと、そんな性格もあってか、筋道を立てて人に何かを説明したり教えたりすることも好きなんです。昔気質の職人って、ウチの先代もそうでしたが、せっかく良いものをつくっていてもそれを人に伝えるのが苦手な人が多いんですよ。それって単純にもったいないなと。
だから、僕はひとりの職人として砂張をつくる技術をタテに深ぼり続けながらも、その魅力を外に発信してヨコに広げられるような人でありたいと思っています」
砂張職人として最も大事にしていること
「この音を維持しつづけること
そしてさらに技術を磨きつづけることです」
「ウチの砂張の鳴物は、長ければ1分近くもの間、音の余韻が残ることが誇りなんですよ。この音の品質を守ることが何よりも僕が大事にしていることですね。
具体的にいうと、砂張は銅と錫(すず)を掛け合わせた合金でできているのですが、柏木美術鋳物研究所では、砂張の配合からやっているんです。もちろん、鳴物をつくる際の後工程に関しても、僕ならではの工夫はあります。でも、やはりこれが良い音を出すうえで一番影響が大きいところかなと思います。
と、語っている僕ですが、実は現時点で自分がつくっている砂張が100%完璧とは思っていないんです。やればやるほど、さらに良くできる点が見えてくるというか。もし技術力を高めることにゴールがあるとするならば、そこにたどり着いた時に、はじめていままでやってきたことのどれが正解でどれが不正解だったかがわかるんでしょうね」
これからの展望
「これからは新しいことに挑戦したいですね。
単に古くさいモノものは時代に淘汰されますから」
「『柏木美術鋳物研究所』という屋号名は祖父の代から名乗っているんです。この名称を見てもらえればわかるように、先々代である彼はアートへの関心が高い芸術家タイプだったみたいですね。そして、先々代の弟である祖父は、音を追求する職人タイプだった。
で、僕はというと、とにかく砂張の品質を上げるための努力をしつづけてきた人間なので、どちらかというと祖父側かなと思っていたんです。でも、この数年はちょっと様子が違ってきまして。これからは砂張を使ったアートもつくってみたいなと思っています。
きっかけは、小田原市が運営する『無尽蔵プロジェクト』という、若手の職人とアート作家を集めて新しい価値を創造するという企画に参加したことでした。そこに集まった各ジャンルの方々がやっていること、さらには彼らとコラボレーションする中で少しずつ自分の中の価値観が変わってきたんです。
なんというか、たとえ歴史を背負った伝統工芸品であっても、時代に求められない限りはどうしても存続は難しくなりますよね。だから、我々のような職人も時代としっかりと向き合って、現代の価値観に合うモノ『も』つくっていかねばならないと思うんです。
いずれにせよ、僕の強みであり、世界に伝えていきたいのは砂張の『音』。この軸はぶらさずにこれから新しいことをはじめるつもりなので楽しみにしていてください」
ヒトに伝えたい小田原の魅力
「過去にさまざまな文化が生まれてきた背景と
現在それを守り発展させようとする風土ですね」
「『無尽蔵プロジェクト』が生まれたように、文化を守るということが自然発生するような風土が一番の魅力かなと思います。きっと城下町、宿場町として歴史を紡いできた背景がある土地なので、文化そのものに対する意識が相対的に高いのかもしれないですね。
和菓子やかまぼこ、梅干しや干物などのもいわゆる『献上品』のようなものが現在も多く残っていますし、文化の多様性と言う意味では全国に誇るポテンシャルがあると思っています」
まとめ
代々受け継がれてきた技術や文化に対して、非常にロジカルでシャープな考察を実施し、まっすぐな努力を重ねてきた柏木さん。彼は言う「僕は天才ではないので……。やらなければいけないことをひとつひとつ解決していくことしかできないんです」と。
しかしながら、それができたからこそ守られた文化があること。そして、それによって我々に新たなクリエイティブへの期待感が与えられたことを忘れてはならない。20代で300年の歴史を受け止め、さらにそれを進化させようとしているひとりの職人を応援したい。
僭越ながらそんなことを感じられた取材であった。