現代の椎茸づくりでは生産効率に優れた菌床椎茸が主流となる中で、難易度が高く非効率ともいえる原木椎茸の生産を40年以上続ける広川原木椎茸園。「森のあわび」とも呼ばれる原木椎茸を山奥で黙々とつくり続ける代表の広川公一さんはどんなヒトなのか。
いまに至るまでの道のりとは?
「原木椎茸をつくり続けて40年以上。今でも毎日実験を繰り返しています」
「実家がみかん農家だったので、大学を卒業して家業を手伝う形で農家をはじめました。小田原は元々みかんの生産が盛んだったのですが、当時は既にみかんは落ち目。みかんだけでは生活するのが難しくなってきていたんです。
そこで、みかん農家の青年部の仲間たちと話し合って、オレンジやポンカンなど、他とは違う種類のみかんで差別化を図ろうとしたけど、なかなかうまくいかない。それならと、当時景気が良かった椎茸をつくりはじめました。
福島からクヌギやナラ(原木椎茸を生産するために必要な広葉樹)を買って、既に原木椎茸をつくっている小田原の農家の方や役所の担当者に教わりながら、みかんと並行して椎茸の生産に着手したんです。本格的に仕事になったのは2年くらい経ってからかな。
今ではより生産効率が良い菌床椎茸が市場の約9割を占めていますが、当時は原木椎茸しか生産方法がありませんでした。最初は10人くらいの仲間たちと始めたのですが、生産自体が難しく、収穫も安定しないため、今でも原木椎茸をつくっているのは私ともうひとりだけになってしまいましたね。
私も色々なことを試して、今では、質が高く美味しい原木椎茸を生産する方法がある程度わかってきたのですが、自然が相手だから大失敗することもある。1年を通して100%成功しつづけたことなんて一度もないくらいですから。毎回菌や木の種類を変えるなど、常に異なる条件で試験的な方法を繰り返して、より成功率の高い手法を研究し続けています。」
客観的に見て、自身はどんなヒト?
「常に成長していたい。だから気になることは広く深く追求する。そんな性格ですね。」
「新たな知見を常に自分にインプットして、成長実感が得られる瞬間が好きなんです。だからひとつのことを徹底的に追求するし、未知のことでも気になることがあれば積極的にチャレンジしますね。
興味があることを突き詰める性格は実は幼い頃から変わっていなくて、中学校では生物部に入り、植物の観測などでとったデータをまとめるのが好きでした。
熱心な先生がいて、毎年24時間植物を定点観測して、自分なりの考察を出すという合宿があったんです。いまの学校ではそんな無茶はさせてくれないと思いますが、私にとってはそれが楽し過ぎて。いまでも当時のことを鮮明に覚えています。
この仕事も、元々植物や自然が好きだからか、40年間原木椎茸を育て続けていても、日々学ぶことがあるし、飽きることなく未だに椎茸の魅力に惹きつけられています。だから向いているのかなと思うんですよ。
また、新たなことに挑戦し続ける点も昔から変わっておらず。高校ではブラスバンド、大学ではオーケストラをやり、今は趣味で社交ダンスをやっています。元々パーティは苦手だったのですが、ダンスをはじめてから楽しくなった。自分に合わないと思っていても、いざやってみると興味が湧くことって多いですからね。
いまはスマホを使ってなんでも調べられるから、情報の扱い方を間違えなければ便利な時代になりました。最近ではマイケル・サンデルの説く『能力主義』に興味があり、いま社会でどんなことが起きていて近い未来にどんな変化がありうるのかは常に追うようにしています」
農家として最も大事にしていること
「何より環境を守ること。自然と共存しながら椎茸をつくっていたいです」
「天然の材料を使う原木椎茸の生産は自然のサイクルにのっているからこそ成り立つんです。
たとえば私たちが使用しているクヌギやナラって元々薪として使われていた木なんですが、当然いまは昔に比べて使用量が減っているじゃないですか。木は切ったり手入れをしたりすることで、新しい芽が出て、若返ることができますが、手付かずの状態ではやがて枯れ、そこから広がって自然を壊すことに繋がってしまいかねない。
農業を通して、自然に必要な手入れをすることができるのです。私たち人間は常に自然を利用させてもらっていますが、人間が好き勝手に自然を無視しつづければ、自然の摂理が壊れてしまい、人間が受けてきた恩恵を受けられなくなってしまう。
前置きが長くなりましたが、私が原木椎茸の生産者として大切にしていること。それは、目の前の椎茸づくりだけではなく、もっと大きな視野で自然を守り続けることなんです」
これからの展望
「これまでやってきた原木椎茸づくりのノウハウを後世に伝えていきたい」
「もう70歳ですから、これから考えるのは人生のまとめですね。仕事において意識するのは、できる限りやってきたことを今まで通り続けることと、その技術やノウハウを継承していくこと。
私は神奈川県の林業協会足柄下支部の会長と神奈川県原木きのこ協議会の会長、東日本原木椎茸協議会の役員を務めているので、そこで繋がっている農家の仲間たちに私の経験から培ったことを伝えていくことが責務だと思っています。
先ほど話したような自然との向き合い方とともに、原木椎茸づくりの技術をしっかりと残していくことが自然に対する恩返しのようなものなのかなと」
ヒトに伝えたい小田原の魅力
「豊かな自然の中で農業に集中できる環境と、
それを理解してくれる消費者がいる街」
「私はみかん農家から椎茸をつくるようになりました。小田原の地が椎茸の生産に特別向くというわけではないけれど、農家目線で見ればさまざまな農作物の生産に順応することができる自然の豊かさが、昔から変わらない小田原の良いところだと思います。
そして、自然の中で時間や労力をかけてつくったモノの価値を理解して、購入してくださる消費者の方々がいることも魅力かなと。だから生産者は良いモノをつくることに集中できるんです」
まとめ
40年以上原木椎茸の生産を続ける広川さんは、「バカだから続いているんです」と冗談のように話すが、飽きることなく原木椎茸の魅力を追い求められるのは、物事の奥深さに辿り着く人並み以上の探究心があるからこそ。
山奥でひっそりと暮らしながら、目の前の椎茸づくりだけに捉われず、人々を取り囲む自然環境と向き合い、より大きな摂理のこともこれ考える。ここまで真剣に考えている人間がいることも小田原の魅力なのではと感じた取材であった。