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農業の価値向上をめざすべく革新を起こし続けるみかん農家

「あきさわ園」代表 秋澤史隆さんに聴く

2023.07.19
農業の価値向上をめざすべく革新を起こし続けるみかん農家

300年の歴史を持ち、業界にさまざまなパラダイムシフトを提供し続けるみかん農家「あきさわ園」。その代表が秋澤史隆さんだ。人と関わることが大好きだと話す秋澤さんの口から止めどなくあふれる農業への熱い思い。その情熱のルーツを探った。

いまに至るまでの道のり

「農業をやってもいいかなと思えたきっかけは、父の言葉だったんです。」

「転機となったのは中学の頃でした。同じクラスには農家の友達はひとりもいなかったので、『家業を継ぐ』という見えないプレッシャーに悩んでいたことがあったんです。そこで父に農業の楽しさって何なのかを聞いてみたんですよ。すると父からは、『お客様のためにおいしいものをつくって、頑張った分だけみんなに愛され必要とされているんだから、こんなに楽しい仕事ないだろ』って言われたんです。その頃から農業をやってみてもいいかなと思うようになりましたね。

そう腹をくくってからは、どうせ農業やるなら新しい技術を学びたいと思い、高校でバイオテクノロジーについて学び、卒業後は東京農業大学に進学。さらに海外でもたくさん勉強させてもらいました。大学在学中はセネガル共和国、タイ、ブラジル、パラグアイ、チリ、アルゼンチンなどで視察や実習を行ったり、卒業後は2年間アメリカで農業実習に携わったりと、多くの国で様々なことを学んだんです。

当時は海外で農業を学ぶことって、そこまで一般的じゃなかったと思うんですけど、そんな海外での経験は僕の農業への価値観を変えるには十分すぎるものでした。日本はもちろん、どの国でも人々の生活の基盤には農業があることを改めて実感したんです。そのことがきっかけで農業の価値ってもっと評価されるべきなんじゃないかと思って、『僕が農業をやらないといけない』と強く思うようになっていったんです」

客観的に見たご自身について

「思ったこと、気になったことをまずは自分でやらないと気が済まないタイプですね」

「今まで寝たいと思って寝たことがないんですよね。とにかく時間の許す限り動いていたいし、好きなことをしていたい。学生時代も今も、とにかく1日をできる限り有意義に使おうというスタンスで生活していますね。

たとえば大学時代は小田原から2時間かけて通学していたので、なんとなく講義を受けるだけではもったいないと思い、朝からみっちり講義を入れて色々な先生のお話を聞くようにしていました。講義の後はビーチバレーやら軽音サークルに参加したり、かたや国内外の農業を研究する部活動に参加して、『明日やろうは大バカヤロウ!!』って感じで、とにかく時間の許す限り体も頭も動かしていましたね。

元々、人とコミュニケーションを取ることが大好きなこともあって、アメリカに留学していた時はおじいちゃんでもお子様でもお姉さんでも、とにかく声をかけて英語を学ぼうとしたものです。そうゆうのも全部、『今しかできないことを、今の僕がやらなきゃもったいない』という気持ちが原動力になっているんだと思うんですよね」

生産者として最も大切にしていること

「山全体を使って、みんなを巻き込むような楽しいコンテンツをつくり続けたいです」

「本業はみかん農家ではあるものの、先に述べたように農業の面白さや価値を人々に伝えていきたいという想いが強いので、ウチでは一般の方が楽しめるコンテンツをたくさん用意することを意識しています。

みかん狩りはもちろん、春にはタケノコ堀りや玉ねぎ収穫体験、夏はブルーベリー狩り、秋には焼き芋体験など、四季折々の山の幸を実際に自分たちでつくって、収穫して、食べてもらえるような機会を通年で設けているんです。

また、研修施設としてもこの山を活用していまして。つい先日も早稲田大学の学生さん向けに勉強会をやったり、とある国内大手のインフラ企業の内定者の懇親会をこの山でやったりしたのですが、あらゆるシチュエーションでウチを起点とした農業とのふれあいがつくれるような環境づくりを目指しています。

この山を僕や農家が独り占めするのではなく、みんなで一緒に楽しく過ごせるようなバショにしていきたいんですよね」

これからの展望

「この時代に合った農業のあり方を問いながら、
『秋澤史隆にしかできないこと』を進めていくことが使命ですね」

「今までこの辺りの農家は『みかんを納品する』ことだけに向き合ってきた人たちが多かった。そして、その納品基準は味だけでなく、見た目やカタチも含まれるので、廃棄せざるを得ないみかんが大量に存在していたわけです。

でも、せっかく美味しいものをつくっているのに、たとえばカタチが悪いからといって、それが食品としての命を全うできないことに疑問を感じていました。だから、数年前から毎年出てしまっていた廃棄予定の大量の青みかんをうまく使って、青みかんジュースをはじめ、ハンドクリームやリップクリームといった化粧品などの商品開発をしたんです。

これを始めた当初、周囲の農家の方の中にも廃棄予定のみかんをつかうなんて気が引けるという方もいらっしゃいましたが、結果的に彼らからも協力してくれる方が現れて、ありがたいことに本来捨てられてしまうはずだったみかんを地域全体として段々減らせるようになってきているんです。」

人に伝えたい小田原の魅力

「協力することでこの土地の魅力を守り続けてきたという地域の一体感、ですかね」

「『小田原は海もあって川もあって山もある』。よく聞く話かもしれませんが、この山から見える景色の中には農業があり、漁業があり、酪農もある。まるで日本の縮図のように衣食住のすべてをまかなえるバショが小田原の大きな魅力であることは間違いないでしょう。

ただそれ以上に、地域の一体感みたいなものも魅力だと思うんです。これは戦時中の話なんですけれど、国の食糧増産の施策で山を切り開いて芋を植えろという指令が出されたんですって。先々代小田原の農家は、『みかんの木は育つのに30年から100年と多くの時間がかかるから、どうか残してほしい。芋はちゃんとつくるから』と、みんなで交渉して、みかんの木を守り抜いたといいます。そんなこんなで全国で小田原だけが終戦後すぐにみかんを大量に生産することができたという過去もあるわけなんです。

そうやって地域全体がみんなで協力し合うことって、今の時代には改めて必要なのかなって思うんです。良いところをかけ合わせていくことで小田原が、あるいは神奈川県という大きなチームの価値がもっともよくなっていく。そして僕たちはその中の『農業』というひとつのピースでいたいと思っているんです。

そのためには僕がまずは動き出すことが必要なんだと感じています。スケールの大きい話かもしれませんが、世界の農業の価値向上の第一歩目をこの小田原から始めるためにも、とにかくやる気いっぱいに頑張っていきたいですね」

まとめ

この時代にできることで、農業の価値を高めるために尽力する秋澤史隆さん。秘境のような山を登っていくほどに熱意を帯びていく秋澤さんのトークには、農業や小田原への想いはもちろんだが、秋澤さんご自身の魅力があふれてやまない。始終取材陣を圧倒する熱気がありながらも常に笑いの絶えない会話の居心地よさは、皆様にも足を運んでお話を聞いてほしいと切に思うほどだ。