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70年の歴史が生み出した「使いこみたくなる」木の器

薗部産業 の「めいぼく椀」

2022.10.13
70年の歴史が生み出した「使いこみたくなる」木の器

1949年に創業した薗部産業は、創業以来お盆やお椀などの小田原漆器をつくり続けてきた。
中でもなめらかな曲線が特徴的な「めいぼく椀」は使い込むほどに趣のある深い色へと変化する代表作だ。「無理なく無駄なく土に還るまで」のコンセプトの元、卓越した技術を活かしてつくられる「めいぼく椀」の魅力について触れていく。

「使い続けたい」。そう思える理由
それは手に取りさえすればわかる

薗部産業は創業当初、木地の製造を主としていたが1950年代後半より、アメリカに向けたサラダボウルの輸出を開始した。1970年代以降は、国内向けにお皿やお椀などの食器を製造している。その主力商品であり、1996年から販売されているのが、桜や栗をはじめとした日本の6種の木材を用いた「めいぼく椀」だ。

めいぼく椀の魅力は職人がひとつ一つ手作業でつくり上げる緻密さにある。なめらかで木のやわらかさがやさしく伝わるその感触、そして、手のひらにすっと収まるムダのない曲線美。そのすべてに長年の英知が詰め込まれていることが、実際に手に取れば瞬時につたわるはずだ。

丁寧な使い方をすれば5年から7年、長いと10年と使い続けることができるというめいぼく椀。少し手間に思える手入れも、不思議と継続できてしまうのはめいぼく椀の魅力そのものなのである。

ながく使えるこの器には卓越した3つの技術が隠されている

めいぼく椀には薗部産業が歩んできた70年もの歴史に裏付けされた、3つの技術が隠されている。ひとつめは、小田原由来の木取り方法。ふたつめは、経験が生んだ乾燥技術の高さ。そして、道具の製造技術である。

一般的なお椀は「タテ」に木取りされるところ、めいぼく椀は1950年代に製造していたサラダボウルの技術を応用し、「ヨコ」に木取る。ヨコの木取りは、高い技術力を要するが、その反面、製品になれば割れにくい丈夫なお椀になるというメリットがある。

ヨコの木取りを実現させるためには、木材が完全な乾燥状態である必要がある。薗部産業はこの乾燥技術に長けており、アメリカやヨーロッパに向けてサラダボウルの生産の中で得た経験をもとに、この業界でも特に短い、約半年で乾燥を仕上げている。

そして椀を削りだす際につかう道具にも職人の技術が光る。木を削る際に最も重要なのは切れ味の良さ。職人自らが金槌を振るい1本ずつ仕上げる道具の刃先はわずか0.1mmほどだ。薗部産業では自分の道具を自分でつくることができなければ、職人とはよばれない。道具づくりの段階からすでにめいぼく椀づくりがはじまっていると言えるのだ。

「無理なく無駄なく土に還るまで」
大切なのは木材を使い切ること

薗部産業は「無理なく無駄なく土に還るまで」をコンセプトに生産を行う。大切な木材を最後まで使うための取り組みは、めいぼく椀をつくる上でも同じだ。
 
職人が1日をかけて作れる椀の数はおよそ60個程度。中でもめいぼく椀として使えるのは20個程度しかないという。めいぼく椀は美しい木の地を見せる器であるため、地の見た目がそぐわないものは使えない。

見た目が理由ではじかれた椀は漆器として生まれ変わる。元々漆器をメインに生産していた薗部産業の経験もこの取り組みには活かされている。製品になれなかった端材でさえも道具をつくる際の炭として火おこしに使われるという。少しの木材も無駄にすることは、決してない。

「無理なく無駄なく土に還るまで」の姿勢を守ってきた薗部産業だからこそ、めいぼく椀は無理も無駄もなく今日まで続いてきたのだろう。

この地に吹く風、流れる水が変わらぬ限り
めいぼく椀もまた、変わることは無い

相模湾から吹く海風は、木材を乾燥させる。酒匂川から流れる冷たい水は、職人が道具をつくる際に熱された鉄をよく冷やしてくれる。小田原の風と水は、めいぼく椀をつくる上では欠かすことはできないという。
 
3代目社長、薗部利弘さんは「伝統ある小田原の技術に惚れ込みました。本当にいいモノを本気で追求すれば、世の中はそれを受け入れてくれることが分かったんですよね」と口にする。

小田原の環境と技術を残したいという強い意志を持ちながら、お客様にとっての使いやすさを追求してきた薗部産業。小田原の風と水が変わらぬように、めいぼく椀はこれからも変わらずに、自然豊かなこの地でつくられてゆくことだろう。