歴史を偲ぶ、石橋石丁場群の切石
江戸城石垣の石丁場
鈴廣石橋店に置かれている切石は、小田原市石橋の広域農道建設用地より発見され、事業者のご協力により現地より移設されました。
箱根外輪山の相模湾に面した山腹一帯には、江戸時代初期の寛永年間頃(1630年代)の江戸城修築に使用された石垣用の「石丁場」(石切場の当時の言い方)が広く分布していることが知られています。石橋地区では、玉川を1.5kmほどさかのぼった右岸一帯で確認され、「石橋石丁場群玉川支群」と名付けられました。
広域農道建設に伴い、平成22年度に実施された発掘調査の結果、江戸時代当時の石切り作業を生々しく示す多数の切石が出土しました。ここに移設した切石は、それらの中の一つで、発掘調査で「第五号矢穴石」としたものです。
歴史の痕跡
切石の角には、割りと取る時に連続的に刻まれた「矢穴」が見られます。山の石をある大きさに切り出すためには、ノミで等間隔に彫った切れ込みに 木のくさびを打ち込み、それに湯を掛けて木を膨張させて石を割りました。
石に向かって右側の小口面に「十」の刻印があります。このような刻印はいくつかの種類が存在し、石切りを幕府から請け負った大名もしくは石工の集団を示す記号であるという説があります。
切り出された石は玉川沿いに引き下ろされ、石橋の海岸から石船と呼ばれる専用の船に載せてはるばる江戸まで運ばれたとされています。
財団法人かながわ考古学財団の「石橋石丁場群玉川支群」発掘調査情報をPDF形式でお読みいただけます。詳細はこちら(PDFファイル)
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鈴廣蒲鉾本店の矢跡石(やあといし)
平成19年、江戸城石垣の石切跡が小田原一夜城中腹に発見されました。巨大な石群には、切り出すために石工が岩盤に打ち込んだ「矢」跡がはっきりと刻印されており、神奈川県はその石群を文化財に指定しました。その中の一石を、神奈川県の許可を得てもらい受け、鈴廣蒲鉾本店の庭、蹲踞(つくばい)正面の石組に組み込みました。 伽藍石(がらんせき)の矢跡と、矢跡石の矢跡の大きさが揃い、他に例のない、鈴廣独自な蹲踞の景色をご覧いただけます。

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