鈴廣職人サイト

鈴廣の「職人技」
■工程 1:生魚卸し■

半世紀にわたり鈴廣を支える「かまぼこの匠」

職人:富永 雅夫

聞き手:土屋 朋代

職人の世界で揉まれ成長した若手時代

今年で66歳となる富永さんは職人チームの最年長、50年あまりのキャリアをもつ大ベテランだ。小田原で生まれ育ち中学卒業後に入社、当時は今の半分以下の規模だったという鈴廣の成長を支え、見守ってきた生き字引だ。

「昔の職人の世界はなかなか厳しいものでした。背中を見て覚えろ、といったスタンスで、細かな説明は一切なし。それなのにできないと厳しく怒られて、時には手が出ることもありました。それでも仲間と共にもの作りに励むのは楽しくて仕方がなかったですね。」
入社後5年間ほどの雑用係を経て、ようやく包丁を握らせてもらった富永さん。その時の事は今でも鮮明に覚えていると笑う。

「私は左利きなので包丁を左手で持ったら、いきなり先輩に怒られたんです。」
かまぼこづくりは前後の工程の流れをスムーズにするために、包丁は右手で持つのが暗黙のルール。慌てて右手で作ろうと試みるも当然慣れるまでに時間がかかり、当時は悩み、苦労したのだそう。

魚の状態を一瞬で見分け処理する「生魚卸し」

小田原かまぼこの代表的な材料であるグチ
小田原かまぼこの代表的な材料であるグチ

すべての工程をオールマイティにこなす富永さんにとって特に思い入れの強い工程は、生魚をさばく「生魚卸し」。かまぼこに使えるのは魚肉、つまり魚の筋肉の部分だけなので、まずは頭をおとし、弾力を阻害する消化酵素を含む内臓やハラスなどをきれいに取り除く。さらに次工程の採肉で良質な身を採取するための下処理を丁寧かつスピーディーに行わなければならない。ここでの処理の状態は品質を大きく左右するため、かまぼこづくりの土台ともなる重要な工程だ。

「魚のコンディションを見極めるのが難しいんです。魚の種類や鮮度、季節によって異なるのはもちろん、抱卵していれば産卵が近いため身質が落ちる、など、ぱっと見て触っただけで判断し、それに合わせて卸していかなくてはいけません。」

小田原かまぼこの代表的な材料であるグチ

近年は生魚を手でさばく機会は減ったが昔はすべて手作業だったそうで、現在も毎年正月のみに販売される最高級かまぼこ『一 はじめ』を作る際は、新鮮なオキギスを手作業で三枚卸しにすることから始まり、その後の工程にもすべて昔ながらの製法が用いられる。

「手作業では時間をかけて作るので、じっくり身がしまるんです。そうしてできたかまぼこはきめ細やかでしなやか。食感が全然違いますよ。」

昔と今を知る職人にできること

板にすり身をつけている富永さん
板にすり身をつけている富永さん

機械生産がない手づくりの時代から鈴廣のかまぼこづくりを支えてきた富永さんは、まさに「生きる鈴廣百科事典」。技術革新や作り方、生産量の変化、商品の移り変わりなど、すべての良さと問題点を経験してきた職人の役割とは何だろうか。

「手づくりのかまぼこはおいしいですが、手作業だけで作るには生産量に限界があります。鈴廣では機械でかまぼこを製造する工場が別にあり、そちらでもレベルの高い商品が作れるようになっているので、機械の力を借りるのは大賛成。ただ、機械で作るかまぼこの質を上げるためには、職人の知識や技術が必要不可欠だと思うんです。」

鈴廣では、『魚肉たんぱく研究所』という科学的な分析を行う部署を設置し、日々品質を数値化、管理している。月に一度、この研究者と機械製造の担当者、そして職人の三者が集まり意見を交換。科学的に割り出された数字と職人の感覚をすり合わせながら多角的にかまぼこのおいしさを分析し、機械製造にフィードバックしている。

「理論化することで後輩たちへの指導もしやすくなりました。作業時の力加減や食べた時の食感など、言葉で表現しきれないことの多い世界なので。」

時代の変化にしなやかに対応しながらかまぼこづくりの魅力を後世に伝える富永さん。その頼もしい背中が鈴廣の未来を力強く牽引している。

土屋 朋代

国内外を旅しながら、各地に根付く独自のカルチャーを掘り下げ発信するフリーランスライター。『ことりっぷ(昭文社)』や『地球の歩き方(ダイヤモンド・ビッグ社)』などの旅メディアや、インバウンド向け媒体を中心に編集・執筆活動中。